公開:2014.01.28 10:54 | 更新: 2020.10.24 01:55
タイトルはJohn Hicksの ”Mr. Keynes and the ‘Classics’” からのパクリです。どうでもいいですね。はい。内容とは関係ありません(多分)。トム・ドークに設計を依頼するまでの経緯や、その後トム・ドークと交流を深める中で知った彼の考え方を備忘録として残しておくと同時に、多くの人と共有したいと思います。
きっかけはツーグリーンをいつかゴルフ本来の姿であるワングリーンにしたい、という先代の社長の思いにあります。その頃の僕はまだ若く、ゴルフが出来ればなんでもいい、ぐらいの認識だったので「へぇ、そういうもんか」という程度に受け止めていました。また僕の叔父は「いいコースは設計家で決まるんだ」と言っていて、それも「へぇ、そういうもんか」と思っていましたが、この二つのことは頭にこびりついて離れませんでした。
2005年に京葉初のプロトーナメントを開催することになり、その勉強としてアメリカのトーナメントを見学に行きました。この機会を利用してパインハーストNo.2をプレーしてきました。このコースは以前に広告で知っていてなんとなく記憶に残っていたので調べてみたらアメリカでもトップ10に入る名コースで、しかも同年に全米オープンを開催することを知り、是非行ってみたいと思ったのです。
実際にパインハーストをプレーしてみると、今までやってきたコースは一体何だったのか、と彼我の差のあまりの大きさにただただ驚くばかりでした。この衝撃の体験から、こういったものを作れるのは外国人の設計家しかいないと思うようになりました。外国人が日本庭園をいくら上手く作ってみても日本人が作るものには敵わないように、ゴルフコースは日本人では勝てないと思います。
調べてみると、当時一番有名だったのはトム・ファジオでした。実際パインハーストNo.8は彼の設計で、とても美しいコースで、No.4は改造、No.6は叔父で有名な設計家であったジョージ・ファジオとの共同設計でした。更に調べてみると、彼は子供と離れたくないからアメリカ大陸以外の仕事はしないと公言していることがわかりました。
他にはジャック・ニクラウス、トム・ワイスコフ、ビル・クーア&ベン・クレンショウなどいろいろな人がいましたが、当時の副支配人で(僕の知る限りで一番のゴルフオタクである)長沼秀明氏からトム・ドークの「ゴルフコースを解剖する」という本をもらいました。これが目からウロコの良本で、この本を書いた人のコースを見てみたい、と思うようになりました。能書きだけで、実際には大したことがないのはよくあることなので、全く期待していなかったのですが、2008年1月になって、ついにその機会が訪れたのです。
取引先の社長が声をかけてくれてオレゴンにあるトム・ドーク設計のパフィフィック・デューンズをプレーしに行くことになったのです。このコースも世界のトップ10ぐらいのコースで、実際行ってみるとこれが最近出来たコースなのか、という佇まいと風格、厳しさをもったコースで驚きました。ビル・クーア&ベン・クレンショウ設計のバンドン・トレイルも素晴らしいコースでした。
トム・ドークの本とコースを実際に見てみて「地形を活かした設計」の真の意味が分かるようになりました。どの設計者もこのことはセールストークとして言うんですが、普通の設計者の場合、実際には活かすどころかメッタ刺しに殺してる感じですね。元ある地形をブルドーザーでぶっ壊して人工的なマウンドの上にティーやグリーンを作っていくからです。
2008年2月、このオレゴン旅行に一緒に行った当時箱根CCのキーパーであった眞利子氏が17番ホールと18番ホールにバンカーを増設中だった京葉に米ゴルフ・マガジンのコースランキングのパネリストであったマサ・ニシジマ氏を連れてやってきてくれました。そこで何気なく「トム・ドークが改造を引き受けてくれないかなぁ?」とつぶやくようにいったところ、ニシジマ氏が「トムに聞いてみようか?高いよ(笑)」と冗談ぽく言うのであまりあてにはしていなかったのですがお願いしました。そうしたら、その次の日ぐらいには「改造は興味はないけど一応地形図だけ送ってもらって」というメールが転送されてきました。軽く衝撃を受けつつすぐに地形図のPDFを添付して返信するとすぐに返事が来ました。今度は様子が随分違っていて「短いほうのアウトコースは面白い地形をしてる。オーナーは距離とかPar72に拘るかな?」という前向きなものでした。彼の本やネットにある色々な書き物を読み漁っていて、彼の考え方はよくわかっていたし、共感していたので「距離やPar72には全く拘らないし、いまのレイアウトは無視して考えて欲しい」と伝えました。
そしてついに2008年7月にトム・ドークが右腕のブライアン・シュナイダーを連れて京葉にやってきたのです。本に載っていた写真は若く痩せていたのに、実物は結構太っていて本当に本人か本気で疑うほどでした。こりゃあ、一杯食わされたかな、と思いましたよ。
実際にはもちろんそんなことはなく正真正銘本人でした。早速現地に入って二日間ほどブライアンと二人で図面片手にコースの隅々を歩いて回っていました。図面でティーとグリーンの候補地のあたりをつけて実際にそのルートで歩いてみて、またクラブハウスに戻って別のプランを考えて実地で確認し、という作業の繰り返しでした。18ホールのティーとグリーンの位置をバランスよく決めるのは本当に一つのアートで、偉大なマエストロにしかできないワザだと思いました。無数にあるグリーンとティーの候補地の中から最良の18ホールを選び出す作業は誰もが解けるパズルではないですね。凡庸な設計家は数ホール印象的なものを選び出すのがせいぜいだし、逆に数ホール素晴らしいものにするのは比較的簡単なことです。
この作業を「ルーティング」と呼びますが、トム・ドークはパー4やパー5をどのような順番で並べるかなんてことは全く考えずに行います。結果的にパー3で始まっても構わないし、パー3やパー5が2つ続いても気にしません(実際にパシフィック・デューンズでは10番11番はパー3)。
こうして僕は京葉の改造計画のラフなプランを手にしたのでした。(つづく)
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